[1]風鈴のはじまり
風鈴の原型は、奈良から平安時代にかけて吉凶を占う道具として中国から入ってきた釣り鐘型の風鐸(ふうたく)にあるとされています。当時はもちろんガラス製ではなく、銅や鉄製だったので、音色もずいぶん異なっていたようです。日本では風鐸を軒下につるしておけば、魔物がその音を嫌って中に入ってくることがないとされ、魔除けとして使われました。
その後、鎌倉時代になって風鐸は陶器でも作られるようになったと言われています。それを浄土宗の開祖とされる高僧・法然(ほうねん)が風鈴(ふうれい)と名付け、それが17世紀に入るといつしか「ふうりん」と呼ばれるようになったという説があります。ただし、この時期の風鈴は鉄や銅、陶器などでした。現代の私たちにとってなじみ深いガラス製ができたのは、18世紀の亨保年間のころと考えられています。
この時期は、16世紀末に長崎を訪れたポルトガル人やオランダ人によって西洋ガラスの製造法が導入され、それが長崎から大阪や江戸にも広まったころです。このころに、ガラス製の風鈴も長崎のガラス職人によって江戸に伝えられました。けれども、原材料が限られるガラスは大変貴重なものだったため、ガラスの風鈴が江戸の街に広まるようになったのは、江戸末期になってからでした。この時期になると、風鈴売りが竿に風鈴をいくつもつるして、町中を回ったといいます。ある川柳では、
「売り声も なくて買い手の 数あるは 音に知らるる 風鈴の徳」
と、その姿を詠んでいます。風鈴売りが呼び込みをしなくても、風鈴の音色に誘われ人々が集まる様子を表現しています。ただ、この時代の風鈴もまだ魔除けが大切な役割だったため、風鈴売りは夏の風物詩ではなかったようです。
[2]伝統の"江戸風鈴"
篠原風鈴本舗では、今でも昔と変わらない手作業による風鈴作りを続け、二代目の篠原儀治さんを中心に、三代目の裕さん夫婦と孫の由香利さん、久奈さんで家業を大切に守っています。篠原さんは国内だけでなく、海外の人にも風鈴を知ってもらおうと、世界各地で営業をしてきました。その際に聞かれた「この道具の名前は?」という質問に答えるため、昔ながらの手作りの風鈴を"江戸風鈴"と命名しました。
江戸風鈴の特徴には、次の五つがあります。
1)材質がガラスである
2)型を使わずに宙(ちゅう)吹きで丸みをもったガラス玉に成形
3)鳴り口(切り口)がギザギザしている
4)手作りなので形も音色も一つずつ異なる
5)ガラスの内側から絵を描く
ガラスの風鈴でも、型を使って大量に生産された規格品や海外で安価に作られた製品とは違い、江戸風鈴は形も音も模様も手作りならではの個性を持っています。
「中でも大切なのが、ガラスの棒が当たる切り口の縁をコップのようにつるつるにせず、あえてギザギザに仕上げること。もちろんけががないように、砥石で軽くやすりはかけます。ギザギザがあると、棒が縁の表面に軽く触れるだけで、ほどよい音量の心地よい音が鳴るようになります」と、篠原さんは教えてくれました。
[3]日本の"音の文化"を守るために
篠原さんは風鈴を「日本の音の文化を象徴するもの」と表現します。「お寺の鐘や神社でのかしわ手など、音にまつわる文化がたくさんあります。風鈴もその一つです」。
魔除けという役割をもつ風鈴は、戦前まで今のような透明ではなく、魔除けの色である朱色を全体に塗った、赤い風鈴が中心でした。けれども、風鈴が夏の道具になるにつれ、涼しげな透明の風鈴が好まれるようになったそうです。趣向の変化は当然のことですが、本来の役割が忘れられてしまうのは、やや残念なことです。
そこで篠原風鈴本舗では、風鈴の販売だけでなく、誰でも参加できる絵付け体験会なども行っています。「風鈴に触れる機会を増やすことで、夏の風物詩としてだけでなく、風鈴の背景にある文化も知ってもらえたらうれしい」と、篠原さんは言います。風鈴の澄んだ音色にさまざまな思いを託す日本人らしい感性は、これからも大切に守っていきたいものです。
<参考> |
取材協力:篠原風鈴本舗
→http://www.edofurin.com/ |
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*注意* マンションなど隣との距離が近い住居の場合には、一定の配慮が必要です。室内の窓辺につるしたり、夜は取り込むようにしたり、風情のある音色を心地よく耳にできる範囲にとどめるようにしましょう。 |
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