CLUB GC  
第61回 日本の文化と伝統(10)五節句
ロハスなはなし
▲端午の節句。菖蒲の節句ともいう。鯉のぼりを立てる風習は、江戸時代中期に町人文化の成熟とともに生まれた。武家が旗を立てるのを町人が真似をして、紙で作った鯉をのぼりとして立てたことに始まる
ロハスなはなし
▲人日に食べる七草がゆ。7種類の菜はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。七草がゆを食べると、1年中の病気を防ぐことができるといわれている
ロハスなはなし
▲武者人形。かぶとまたはよろいを中央に置き、右に太刀、左に弓矢を飾る。段飾りの場合は、2・3段目に太鼓や軍扇などを飾る
ロハスなはなし
▲端午の節句に欠かせない柏餅とちまき
ロハスなはなし
▲平安時代の習慣を今に伝える「流し雛」
ロハスなはなし
▲仙台の七夕祭り。かつてはこの華やかな飾りも川に流した
第61回
日本の文化と伝統(10) 五節句
2011/4/8
 

[1]五節句の始まり
 「節句」は、季節の節目に行う伝統的な年中行事、またはその日を指します。農耕社会である日本においては、農作業の区切りと連動しています。江戸時代初期までは「節供」と書き、正しくは「節日の供物」を意味しました。しかし、しだいに供物を献上する日のほうを指す意味合いが強くなり、節句という字が当てられるようになりました。
 3月の桃の節句や5月の菖蒲の節句など、節句には奈良・平安時代から宮廷などで邪気を払う行事が行われていたようです。節句に行われてきた古くからの風習の中で、特に大切な節句を五節句として公的な式日に定めたのは江戸時代です。
 具体的に五節句とは、人日(じんじつ)(1月7日)の七草の節句、上巳(じょうし)(3月3日)の桃の節句、端午(たんご)(5月5日)の菖蒲の節句、七夕(しちせき)(7月7日)の七夕の節句、重陽(ちょうよう)(9月9日)の菊の節句です。どの節句も月と日が奇数であることに注目してください。これは中国の古い風習がそのベースにあります。中国では、月日に奇数(陽)が重なると偶数(陰)になることから、それを嫌い、季節の植物を食べて邪気を払う行事が行われました。その風習が中国から伝わり、さらに日本独自の風習と、1年の無事や子どもの健やかな成長といった人々の切なる願いをくみながら、現在のような形になりました。

[2]端午の節句
 今では「こどもの日」としておなじみの5月5日、端午の節句についてご紹介します。
 中国では5月を、心身を慎み、身をけがれないようにする月と考え、昔から菖蒲や蓬(よもぎ)を門戸にさしたり、菖蒲酒を飲んだりしました。中国の風習にならって、日本でも菖蒲が儀式や行事に使われるようになった始まりは、仁徳天皇の時代とも推古天皇の時代ともいわれています。平安時代から貴族が菖蒲を冠にさしたり、宮中の館や民家の屋根を菖蒲で葺(ふ)きわたしたり、さまざまな用途で使われました。いずれも菖蒲の強い臭気で邪気を払おうという考えがあったようです。菖蒲湯につかる慣習もこの考えに由来します。
 鎌倉時代になると、「菖蒲」と武道・武勇を重んじるという意味をもつ「尚武」(しょうぶ)が同じ音であることから、武具を飾って祝うようになり、室町時代に入ると民間にも広まりました。その後、江戸時代になって武家で男児の成長と出世を願って、武者人形を飾り、家紋を染め抜いた旗を立て、柏餅やちまきを食べて祝ったことから、男児の節句として定着していきました。
 柏餅は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという柏の葉の特性から、「子孫が絶えない」という意味をもつ縁起のよい食べ物です。また、ちまきは中国の慣習に由来しています。5月5日は中国の戦国時代(紀元前403年?紀元前221年)に楚(そ)の国で活躍した忠臣・屈原(くつげん)の命日とされていて、この日に竹筒に米を入れたもので供養したのが始まりです。そのため、ちまきは竹筒を模して餅菓子を熊笹や菖蒲の葉で包み、紐で巻きます。このように日本と中国の縁起をかつぐ習慣が融合しながら、端午の節句の祝いの形が出来上がったのです。

[3]そのほかの節句
 端午の節句以外の4つの節句を簡単にご紹介します。
●人日/七草の節句
七草粥を食べて、1年の無病息災を願います。平安時代から1月7日に7種類の野草を摘んで煮て食べる習慣があったことは、『枕草子』の記述からも分かります。

●上巳/桃の節句
平安時代、上巳の日に自分の身のけがれを小さな紙の人形に移し、川や海に流して身の不浄を払ったことが始まりです。その習慣に、平安時代の公家の女児たちが楽しんだ「雛遊び」と呼ばれる人形遊びが組み合わさって、女児の健やかな成長を願う雛人形へと変化していったとされています。

●七夕/七夕の節句
天の河の両端で瞬く牽牛星(彦星)と織女星(織姫星)をお祭りする節句です。願い事を書いた短冊を笹竹に飾り、素麺などを供えます。翌日には、短冊を飾った笹竹を川や海に流しました。平安時代にこのような風習が始まったといわれています。

●重陽/菊の節句
陰陽思想において、縁起のよい数字とされる「九」が重なる日であることから、大変おめでたい日とされてきました。菊は中国から不老長寿に効く薬として伝わったことから、重陽の日に、宮中では不老長寿を願って酒に菊の花を浮かべて飲んだといいます。また、菊の花についた露にも同じ効果があるとされ、重陽の前夜に花に綿布をかぶせ、翌朝露が染みた布で体をふく習慣なども残っています。

 節句は、農耕民族である私たちにとって、1年の仕事や日常生活のサイクルを守る目安でした。そして、節句を迎えるたびに、人々は家族が無事に暮らせたことに感謝し、同時に次の節句まで、また何事もなく暮らしていけるように願いました。今も年中行事として残る五節句を、日本の伝統的な暮らしを伝える風習として、これからも受け継いでいきたいものです。

<参考資料>
川口謙二著『年中行事・儀礼事典』東京美術選書
柴田謙介著『日本人が大切にしてきた 大人のしきたり』幻冬社
市田ひろみ監修『市田ひろみの日本人でよかった 年中行事としきたり』東京書籍
三越編『日本を楽しむ年中行事』かんき出版
 
   
閉じる
ロハスって?
Copyright(c) FUJIFILM BUSINESS SUPPLY CO., LTD. All Rights Reserved.