[1]日本の暮らしに欠かせなかった囲炉裏
囲炉裏の歴史は竪穴住居の時代にまでさかのぼれ、住居跡では囲炉裏の跡も発見されています。そもそも竪穴住居とは、縄文時代から主に平安時代まで建てられた住居様式で、地面を数十センチほど掘り下げて床にする半地下式の住居です。住居の中央に暖をとるための炉を配置し、屋根に開けた穴から煙を排出しました。竪穴住居の炉は、床面に石で囲いを作りそこに薪をくべるという、極めて原始的なものでした。
その後、民家の様式が掘立柱建物、さらに総柱型建物と変化していく中で、同様に囲炉裏の様式も変わっていきました。室町末期から江戸時代にかけて発展した江戸や京都、大阪などの都市部の町家を除き、農村部では近代まで囲炉裏で煮炊きをし、そこに家族が集まって食事をし、暖を取るという暮らし方が続けられてきました。
[2]基本的な囲炉裏のつくり
囲炉裏は家族の団らんだけでなく、客人をもてなす場所でもありました。そのような場合の囲炉裏は灰を美しく整え、やかんを置いて茶の用意をしました。その究極の様式が茶室の炉といえます。いずれにしても、囲炉裏端は暖かな火を囲んで人々が語らうコミュニケーションの場所だったのです。
囲炉裏の基本的な構造は、床を四角に切って開き、そこに木製の枠組み(炉縁)を作って灰で埋めます。そこに薪や木炭といった燃料を入れて、火を起こします。天井には、木を格子状に組んだ「火棚」(ひだな)を吊るしました。これは、万が一火の粉が高く舞い上がったとしても、火が天井に燃え移るのを防ぐためです。さらに、火棚の真上に当たる天井板は少し隙間を空けて張られている場合が多く、こうすることで熱が家全体に広がり、煙は天井裏を抜けて排出されるようになっていました。同時に、薪を焚くとすすも天井裏まで広がります。家中がすすだらけになるという欠点もありますが、その一方ですすは天然の防虫剤の役割を果たしていました。囲炉裏は日本の住環境に適した優れた設備であるといえます。
[3]さまざまな囲炉裏の形
囲炉裏の様式はいくつかに分けられますので、代表的なものをご紹介します。
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