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第58回 日本の文化と伝統(7)江戸小紋
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▲江戸小紋の反物と着物
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▲お召十字(写真左)と極鮫(ごくさめ)(写真右)
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▲色見本帳
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▲型付けの作業 写真①(上)と写真②(下)
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▲しごきの作業 写真③(上)と写真④(下)
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▲富田篤さん。富田染工芸は大正3年に創業した老舗
第58回
日本の文化と伝統(7) 江戸小紋
2011/1/11
 

[1]東京は京都、金沢と並ぶ染め物の三大産地
 東京は、京都、金沢と並ぶ染め物の三大産地です。江戸時代の中心地は神田や浅草でしたが、明治以降になると近代化の流れとともに、中心地はより清流を求めて神田川の上流域である江戸川橋、早稲田、落合へと移り変わってきました。現在も新宿区には100軒ほどの染め工房が存在しています。
 着物を染める技法にはさまざまなものがありますが、江戸・東京を代表する染めの技法のひとつに小紋があります。
 江戸時代、小紋の始まりは武士の裃(かみしも)を小紋で染めたことにあります。参勤交代で江戸を訪れた武士がどの藩に所属するか一目瞭然にするために、裃に藩ごとの小紋を入れて染められるようになりました。その風習が江戸の町人にも広まり、現在に至ります。徳川将軍家の「お召十字」、紀州徳川家の「極鮫」(ごくさめ)など、その藩の武士しか染めることが許されなかった小紋を“御禁止(おとめ)柄”、町人たちがそれを模して蝶や野菜など自由なモチーフで作った小紋を“いわれ柄”と呼びます。明治維新後、前者が江戸小紋、後者が東京おしゃれ小紋と呼び名を変え、さらに両者を併せて「東京染小紋」というようになりました。
 「昭和30〜40年代は東京おしゃれ小紋が流行し、その最先端をいくモダンな柄の小紋がたくさん作られました。その後、平成になるとよりシックなものが求められるようになり、無地に近い江戸小紋のニーズが増えました」と、富田さんは当時を振り返りながら語ります。また、「小紋は華やかで斬新な柄を選び流行を楽しむことも、無地に近い柄を選んで帯や帯締めとの組み合わせを楽しむこともできます」と話します。その振り幅が、昔から“小紋から始まり、小紋に終わる”といわれるゆえんなのです。

[2]出来栄えを決める「色糊の調整」と「型付け」
 次に、簡単に小紋染めの工程を見ていきます。
①色糊の調整
 小紋染めでとくに重要な工程として、富田さんは「色糊の調整」と「型付け」を挙げます。色糊の調整とは、糯米粉(もちごめこ)と米ぬかで作った糊に染料を加えて、染める色を作る作業です。染料を調合し、自分が思い描く色を作り出します。わずか15種類ほどの染料から、数万色が作り出されます。「この染料が何グラムであの染料が何グラム、といったきっちりとした数値があるわけではありません。作りたい色をイメージしながら、職人の勘によって調合していきます。生地の染め上がりが左右されますから、長年の経験が必要となる大切な作業です」(富田さん)。そして、過去に染めた色の布地などをまとめた色見本帳(写真)で色を管理します。
②型付け
 色糊の調整が終わったら、次に型付けの作業に入ります。型付けは、柿の渋を張り合わせた地紙(じがみ)に模様を彫った型紙を白生地に載せて、写真①のように上からコマ(木製のヘラ)で防染用の糊を薄く伸ばします。こうすることで、後の染めの工程で模様の部分は染まらずに、模様が浮き出てきます。
 防染糊にも付き具合を確認できるように、わずかに色がついています。そのため、糊を伸ばし終えて型紙を外すと、写真②のようにうっすらと型紙の模様が描き出されます。
③しごき
 糊が乾いたら、地色を染めるために調合した色糊を生地全体に塗っていきます。この作業を「しごき」と呼びます。現在は、ベルトコンベアーのような機械に生地を流し、大きなコマで色糊を薄く伸ばし(写真③)、素早くオガクズをふるいかけます(写真④)。オガクズは次の蒸しの工程で、生地と生地が糊でくっついてしまうのを防ぎます。
④蒸し、水洗い、乾燥
 その後、染料を生地に定着させるため、生地を90〜100℃の高温で約15〜30分ほど蒸します。蒸し上がったら生地を丁寧に水洗いし、余分な糊を洗い落とし、乾燥させて完成です。「水洗いの工程は、今は生地に水を吹きかける糊落とし機を使いますが、昭和30年代後半までは神田川の清流で洗っていました」(富田さん)。生地を川の中にかけておけば川の流れが自然に糊を落としてくれるため、川で洗うと作業量が大幅に軽減されたといいます。ゆえに、染物の工房は、江戸時代から常に神田川の脇に軒を連ねてきたのです。

[3]着物の柄や色の組み合わせには知的センスが必要
 「古着でもいいから、まずは着物を着てほしい」と富田さんは強調します。着物は着れば着るほど自分に合った色や柄が分かるようになり、楽しみの幅が広がってくるといいます。「着物を極めてくると、着る前の方が楽しくなってくるものです。季節や場に合わせてどんな着物を選び、帯や小物との柄の合わせや配色を考え、自分らしい“組み合わせ”を探し当てることが、着物を着る楽しみなのです」と言います。
 着ていく場がないのならその場を作ろうと、富田さんは銀座で着物を着るイベント「きものde銀座」を10年ほど前に立ち上げました。また、自らの工房を「東京染ものがたり博物館」として開放し、着物の知識の普及などにも努めています。
 「ここ数年、着るブームは広がっていますが、同時にアンティーク着物も普及してしまって、私のような染物屋には厳しい時代が続いています。着物を着ることが広く浸透するまでは、まだ我慢ですね」と富田さんは苦笑しながらも、「着物を着ることは、知的センスを磨くことになります。日本人が世界で広く活躍するようになった今だからこそ、着物を着てほしい」と、願いを込めて語りました。
 着物は、日本人が古来から持っていた高度なセンスを世界にアピールする最高のツールになってくれるのです。

<取材協力>
東京都染色工業協同組合
→http://www.tokyo-senshoku.com/
 
   
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