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第55回 日本の文化と伝統(4) 滋賀の信楽焼
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▲現代の信楽焼を代表する二人の陶芸家の作品。上から五代上田直方作「茶碗 銘:あさにけに」1964年制作、高橋春斎作「窯変丸壺」1997年制作。いずれも個人蔵、杉本賢正撮影
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▲中世に焼かれた古信楽の「信楽大壺」。室町時代(15世紀)制作 滋賀県立陶芸の森陶芸館蔵 寸法:高55.0cm×最大径46.0cm杉本賢正撮影
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▲陶芸の森で再現した穴窯。中世の信楽でよく使われた窯で、当時は斜面に穴を掘って、天井をかぶせた原始的なつくりでした。
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▲写真①:火色。白い斑点「蟹の目」も見られます。(写真提供 滋賀県立陶芸の森)
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▲写真②:自然釉。信楽焼は土の性質から美しい緑色に出ることが多い。
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▲写真③:灰かぶり。(写真提供 滋賀県立陶芸の森)
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▲写真上:陶芸の森内にある創作研修館。写真下:研修館に滞在したアメリカ人アーティスト、リンダ・ケアーズさんによる作品「とぎ ざ たぬき」。
 
 
 
第55回
日本の文化と伝統(4) 滋賀の信楽焼
2010/10/12
 

(1)信楽焼の始まり
 信楽に焼き物の窯が作られ始めたのは、鎌倉時代の13世紀半ばと考えられています。中世は日本各地で農耕が盛んになった時期です。収穫した穀物を壷に保存したり水を甕(かめ)に貯めておいたり、発芽を促すために種もみを甕の水に浸けたり、また雑穀をすり鉢ですって食べたりと、暮らしには焼き物が欠かせませんでした。
 「信楽には窯業地となるためのよい条件がたくさん備わっていました」と大槻さんは言います。それは、何といっても信楽の土の良さです。「焼き物は高温で焼かなければ、日常の使用に耐えうる強度が生まれません。その点、信楽の土は高い温度にも強く、コシがあって成形しやすいので、大きな壷や甕を焼くのにもとても適していました」(大槻さん)。
 二つ目が信楽の特徴的な地勢です。信楽の土地は高原の気候でありながら、周囲は山に囲まれた盆地です。斜面が多いため穴窯や登り窯を作りやすく、また薪も豊富に取れたのです。
 「この辺りは高地なので、冬の寒さがとても厳しい。農閑期が長く、その時期を有効活用する副業として、信楽の人は焼き物に従事したのでしょう。京都や大阪といった大消費地に近かったことも、大きな強みですね」(大槻さん)。このような背景から、信楽は生活の器を焼く産地として発展していきました。
 15世紀後半になると、京都や大阪で「わび茶」が起こります。その中で、飾り気のない質素な信楽の焼き締めの器が、茶人が求める“わび”“さび”の世界観と重なり、茶道具として用いられるようになりました。
 「当時の信楽では茶の道具を焼くという発想はあまりなかったようで、壷を水指や花入れとして使うといった見立て道具として使われていました。信楽で焼かれた茶陶は少なく、この時代の遺跡を発掘しても出てくるのは、壷、甕、鉢がほとんどなんですよ」と大槻さんは言います。信楽は、あくまでも庶民の生活を支える焼き物の産地だったのです。

(2)焼き締めの美しさを観るポイント
 古くから焼かれてきた信楽焼は、釉(うわぐすり)をかけない焼き締めでした。それが江戸時代に入ると釉をかけた焼き物が全盛期を迎えたため、18世紀半ばから信楽でも焼き締めから釉をかけたものに切り替わっていきます。「信楽は庶民の器を焼く産地ですから、時代のニーズに合わせて何でも焼きました」と大槻さん。
 明治時代になると火鉢、それが下火になると植木鉢、傘立て、そして昭和30年以降は建築用タイルが産業製品として焼かれてきました。やがて、昭和50年ごろになると全国的に古陶磁ブームが起こり、信楽でも中世の素朴な古信楽を再確認する動きが始まります。その結果、江戸時代より長く忘れ去られていた焼き締めの器の評価が高まり、芸術品として再び焼かれるようになりました。
 釉をかけない焼き締めは、炎と土が創り出す造形美を愛でます。その美しさを観賞する上で、知っておきたい二つのポイントは、「火色(ひいろ)」と「窯変(ようへん)」です。
■火色(緋色)と抜け
火色とは、焼成によって赤みを帯びた土の色合いのこと。信楽の土は鉄分が少ないため、ほんわりと明るい橙色に焼き上がります(写真①)。一方、抜けとは炎の加減で焼き色がつかず、白い土の地肌が出ている部分を指します。火色と白い抜けのコントラストの美しさが、観賞のポイントです。
■窯変
窯変とは、窯の中の諸条件の重なりによってできる自然が作る焼き物の景色のこと。化学反応によって薪の灰がガラス質になる自然釉(写真②)、薪の灰が降りかかり、それが溶けた灰かぶり(写真③)などがあります。また、信楽の土は、長石という鉱物を多く含むことから蟹の目(または霰(あられ))が生まれます。これは、長石が溶けて表面にプツプツと白い斑点が浮き出てくることをいい、信楽の火色によく映えます。
「このような効果は偶然の美と捉えられることが多いのですが、経験を積んだ陶工は、その日の自然条件や窯の中の配置などで、ある程度までコントロールできるそうです」と大槻さん。つくり手が自然の力を引き出すことで、信楽焼の芸術性が生まれるといえます。

(3)信楽焼の可能性を広げるために
 陶器の一大産地である信楽では、後継者は順調に育っているといいます。けれども、海外の安い陶器に押されて、信楽焼の需要そのものは減少傾向にあります。そのような中で、信楽焼の魅力をより知ってもらおうと、さまざまな取り組みを行っているのが滋賀県立陶芸の森です。ここは、企画展が行われる「陶芸館」と、現代の信楽焼の製品が紹介されている「信楽産業展示館」、さらに国内外のアーティストを迎え作業場として提供する「創作研修館」からなります。広い園内には創作研修館に滞在したアーティストたちによる、ユニークな作品がたくさん展示されています。
 また、信楽の町では今年初めての試みとして、10月1日から11月23日まで「信楽まちなか芸術祭」と題し、窯元が制作現場を公開したり、陶器市を開催したりと、連日イベントが開催されています。日本を代表する陶器の名産地であっても、より広めるための努力が続けられているのです。


取材協力:滋賀県立陶芸の森
→http://www.sccp.jp/
2010年12月12日まで特別展「しがらきやき‐直方の茶陶 春斎の壷‐」を開催中。
 
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