[1]手仕事を守って作られる奈良の墨
上垣博俊さんは、現在77歳。父の伊三郎(いざぶろう)さんが墨の型入れ職人として奈良で修行し創業した玄勝堂を受け継ぐ二代目です。数百年と続く老舗が多い奈良においては、決して長い歴史とはいえませんが、今も昔と変わらない手仕事を守り続けている貴重な一軒です。東大寺のやや西、かつては墨職人の家が軒を連ねた地域に仕事場を構えています。10月中旬から4月下旬までの墨作りの季節になると、通いの職人1人を加えて親族が総出で、墨の製造が始まります。
そもそも墨は、菜種油やごま油などの植物油を燃やした煤(すす)から作る油煙墨(ゆえんぼく)と、松を燃やした煤から作る松煙墨(しょうえんぼく)に大きく分けられます。墨は数千円から数万円まで価格に大きな差がありますが、それは煤の違いによるものです。比較的安価な鉱物油などを燃やして大きな機械でとった煤からできたものは汎用品、松や高価な菜種油、ごま油の煤からできたものは高級品となります。同じ墨であっても煤の違いによって、青みが強かったり赤みがかっていたり色合いが異なります。松や植物油の煤から作られた墨の方が、深みと味わいのある墨が生まれます。
[2]墨作りには熟練の技と忍耐が必要
現在、奈良では油煙墨と松煙墨とが作られていますが、伝統的には油煙墨が多く作られてきました。その作り方を簡単に説明すると、真っ黒な煤(にかわ)に、動物の皮や骨から作った膠を接着剤として加え、さらに膠の臭い消しに少しの香料を混ぜてよく練り、型に入れて成型し、それをじっくりと乾燥させて出来上がりです。
墨作りの工程の中で、見た目の良しあしを大きく左右するのが「型入れ」です。これは、原材料を合わせて練り上げた墨の生地を型に押し入れていく作業です。分量に分けて細長く伸ばした墨を、前後に転がしながら型に入れていくのですが、このときに全体をきれいに転がせていなかったり、力を入れすぎてしまったりすると乾燥後にひねりが出たり、手の関節の跡が表面に浮き出たりして、売り物にならなくなってしまいます。
「型入れの段階では失敗したのか、まったく分からないのが難しいところ。乾燥後にひねりが出てしまうと、もう形を補正することはできません。型入れの段階で、手のひらを平らにして力を均等に入れることが大切です」(上垣さん)
また、時間を最も要する工程は「乾燥」です。成形した墨を灰の中に入れ、小さな一丁型(横約20mm×縦約85mm)の墨で10日ほどかけて、少しずつ水分を抜いていきます。その後、網に載せて1〜2カ月ほど空気乾燥させます。そのため、一つの墨は最短でも完成までに2〜3カ月を有し、さらに3カ月ほど寝かせなければ使用できる質にはならないと上垣さんは言います。
「墨はとにかく敏感な生き物。呼吸をしていて、日々変化していきます。乾くとすぐに割れてしまいます。原材料である煤の良しあしはもちろんのことです」(上垣さん)。
[3]墨作りを伝承する
「墨は筆記用具として日常的に使われてきた時代から、現代は書道や絵手紙など趣味の道具になった時代に変わりました」と、玄勝堂の上垣さんは書道用具全体の需要が大きく減少している現状をこう指摘します。また、他の伝統産業と同じように職人の高齢化が進み、後継者が不足しています。特に墨作りは、膠が腐りやすくなる温度・湿度の高い夏場は避けて冬季限定で行われるので、どれほど腕のいい職人でも1年のうち半分は仕事がなくなってしまい、墨作りだけでは生計を立てるのが難しいというのが墨職人の育成の難しさに拍車をかけています。さらに、質のよい煤や膠を仕入れるのも年々難しくなりつつあると言います。墨の使用量の減少とともに、煤や膠を作る職人の数も激減しているのです。
「墨も煤も膠も、もの作りの技術は一度失われてしまったら、それを取り戻すのは至難の業(わざ)です。墨作りはやはり先祖が残してくれた大切な家業ですから、なんとか守って、次の世代に繋げないといけませんね」と、上垣さん。柔らかい調子の奈良言葉で、気負うこともなく、ポツリとこうつぶやいた言葉がとても印象的に響きました。
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