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ロハスなはなし 第37回 自然と共にある生き方 アイヌ民族の道具
ロハスなはなし
▲阿寒国立公園内にある、北海道三大秘湖のひとつ「オンネトー」。
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▲チセ。カヤやヨシなど地域ごとに身近な植物素材で作られました。(写真提供:二風谷アイヌ文化博物館)
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▲独創的な二風谷アイヌ文化博物館の外観。(写真提供:二風谷アイヌ文化博物館)
第37回
自然と共にある生き方
アイヌ民族の道具
2009/4/10
 

(1)アイヌ文化のはじまり
  12〜13世紀ごろまで、北海道では土器を使い、採集と漁狩猟を主な生業とする擦文(サツモン)文化(※1)が続いていました。擦文文化から変わって形成されたアイヌ文化は、さまざまに移り変わりながら育まれ、今日に息づいています。かつてのアイヌの人々は、河川や海の近くにチセ(家)を建てて、コタン(集落)を形成。男性は食料や道具の材料を得るために川や森へ猟に出掛け、女性は山菜採集や機織りなどを担いました。さらに、彼らはエゾシカやクロテンなどの動物の毛皮や海産物などを携えて、イタオマチプ(板綴船)に乗り、本州の和人をはじめサハリン(樺太)沿海地方やカムチャッカ地方に住む周辺民族と盛んに交易も行っていました。彼らは厳しい北の大地を基点に、実にダイナミックな活動を営んでいたのです。
 さて、そもそも「アイヌ」という言葉の意味をご存知でしょうか? アイヌとは彼らの言葉で「人間」を指します。その対照的な言葉に、「カムイ」があります。カムイはよく「神々」と訳されますが、日本語の「神」とは少し意味が異なるようです。アイヌの人々は、自分たちのまわりに存在するありとあらゆるモノにカムイが宿っている、もしくはカムイがそれらに姿を変えていると考えていました。湖や川、太陽、月、水、火といった自然にも、熊や鹿などの動植物にも、鍋や籠などの生活道具にも、さらには天災や疫病といった災いにも、アイヌの人々はカムイの存在を感じ、それらを敬い、時に恐れたのです。ですから、彼らは獲物を獲り尽くすようなことはせず、例えば植物ならば必ず根を残して採集しました。アイヌの人々は自然と共生するすべを知っていたのです。

※1:擦文文化は、北海道北部から東部にかけて9世紀ごろまで形成されていたオホーツク文化圏を除き、北海道全域に広がりました。その後、オホーツク文化は少しずつ擦文時代に取り込まれていきました。

(2)アイヌ民族の道具と野草
 ここでは、アイヌ民族の人々が生活の中で用いていた道具や野草を具体的にご紹介しましょう。道具一つひとつから、彼らが抱いていた世界観を感じることができます。

●着物
オヒョウなどの樹皮や草を繊維にして織った着物や、クマやシカ、アザラシなどの獣の毛皮や鳥の羽などを用いた着物を着ていました。自然の生態系を守る大切さを知っていたアイヌの人々は、例えば樹皮を採取する際には木を切り倒したりなどはせずに、再生できるように数本の木から樹皮を少しずつ切り取って回ったといいます。
ロハスなはなし 写真:アツトウシアミプ オヒョウの繊維で織った着物。写真のように文様が施されているものは晴れ着として着用されていたもの。「アイヌ文様」と呼ばれる独特な描線は魔除けの意味があるともいわれています。
●猟や収穫に使う道具
アイヌ民族の人々は、1年を通じて漁や狩猟、植物採集を生業としました。猟には主に弓矢と槍を使い、矢の先にはトリカブトなどから作った秘伝の猛毒を塗って獲物を仕留めました。
ロハスなはなし 写真左:ク 猟に使われた弓
写真右:ピパ カワシンジュガイなど大きな貝殻に穴を開けて作った道具。作物を刈り取る際に使われました。
●生活の道具
かつては製鉄技術を持たなかったため、鉄器は交易によって得ていました。そのため、自製品の大半は木工細工の器や草木を編んだ籠などでした。
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写真左:イタ 木製のお盆。写真のイタは文様が入っているため、主に祭事に使われていたと考えられます。渦巻き模様は魔除けの意味を持つという説があります。
写真右:マキリ 植物採集や生活道具を作る際に使われた小刀。鞘や柄に文様が彫刻されています。
●宗教の道具
あらゆるものにカムイが宿っている(またはカムイが変身した姿)と考えたアイヌの人々は、捕獲した動物や魚、使い終わった道具などに対して、カムイが住む世界に送る儀式を盛大に行いました。その際に使われた祭祀用具に、写真のふたつがあります。
ロハスなはなし 写真上:サパンペ イヨマンテ(熊の霊送り)などの儀式が行われる際に、正装した男性たちがかぶる冠。
写真下:イクパスイ 神や先祖にお神酒を捧げる際に使われた棒酒箸。先に酒をつけて祭壇に捧げると、彼らと酒を酌み交わすことができると考えられていました。また、人々の願いをカムイに伝えてくれる伝達者でもあります。
(写真提供:二風谷アイヌ文化博物館)
●食用、薬用として採集された植物たち
アイヌの人々はかつて自然の植物を採集して、食用や薬用にしていました。また、簡易的な農耕も行っていたといわれています。
ロハスなはなし 写真左:エゾエンゴサク 根を鎮痛剤に。
写真右:エゾスカシユリ 鱗茎をお米に炊き込んだり、魚などに混ぜたりして食べました。
ロハスなはなし 写真左:ニリンソウ 葉や花、茎は干して保存食に。また、その煎汁で産後の傷を洗いました。トリカブトと葉が似ているので注意を。
写真右:トリカブト 根を用いて、猟に使う猛毒が作られました。

(3)平取町立二風谷アイヌ文化博物館について
 深くアイヌ文化について知るには、その土地を訪ねてみるのが一番です。北海道には、大きなコタンがあった地域にアイヌ文化を紹介する博物館などが建てられていて、彼らの道具や衣類、復元されたチセなどが展示されています。
 そのひとつが「平取町立二風谷(ニブタニ)アイヌ文化博物館」。平取町は苫小牧のやや東にある町です。町内を縦断する沙流川(サルガワ)流域で暮らすアイヌの人々は、古くから「サルンクル(沙流の人)」と呼ばれ、ひとつの大きな文化圏を形成していました。現在も町内にはアイヌ文化の伝承者たちが暮らし、遺跡や民俗文化財も数多く保存されています。なかでも、二風谷はアイヌの伝統が色濃く残る土地で、毎年8月には舟下ろしの儀式「チサンケ」が継承されています。
 このように土地に深く息づくアイヌ文化を伝承していこうと、平成3年に建てられたのがアイヌ文化博物館です。館内には、毎日の生活に使われていた民具や儀式に用いられた道具など約1,000点が常時展示され、敷地内には数軒のチセが復元されています。また、平取町内にはこのほかにも、民族文化研究家・萱野茂氏(※2)の個人コレクションを展示する「萱野茂 二風谷アイヌ資料館」、沙流川の自然や歴史について紹介する「沙流川歴史館」、アイヌ民族の伝統工芸を体験できる「二風谷工芸センター」があり、さまざまな角度からアイヌの文化を学ぶことができます。

※2:萱野茂 1926年平取町二風谷に生まれ。アイヌ民具や民話の収集・研究を続け、1975年『ウェペケレ集大成』で菊池寛賞受賞。1994年アイヌ民族初の国会議員となり、「アイヌ新法」の制定に尽力。

【取材・写真協力】
・平取町立二風谷アイヌ文化博物館
→http://www.ainu-museum-nibutani.org/
【参考文献・URL】
・財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構
→http://www.frpac.or.jp/
・財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 発行冊子『アイヌの人たちの文化』
・アイヌ民族博物館公式ホームページ内「アイヌ文化入門」
→http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nyumon.html
・北海道無料写真素材集 DO PHOTO
→http://photo.hokkaido-blog.com/
 
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