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ロハスなはなし 第34回 人知を超えた時空の法則 暦の生活
ロハスなはなし
▲日本では月の運行に基づく太陰太陽暦が長く使われてきました
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▲私たちが日常的に使用している時刻は「平均太陽時」といいます。平均太陽時とは、基本的に時刻はある地点においてみたときの太陽の時角に基づいて算出されていますが、日照時間が夏は長く、冬は短いようにこれは季節によって少しずつ誤差が生じます。その誤差を補正したものが平均太陽時になります
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▲古代エジプト末期の遺跡「コム・オンボ神殿」に残る農業暦
第34回
人知を超えた時空の法則 暦の生活
2009/1/9
 

●太陽を基準にするか? 月を基準にするか?
 有史以前よりヒトは狩猟や農耕生活を営む上で、季節の移り変わりの法則を把握する必要性から、さまざまな暦を使ってきました。暦は大きく「自然暦」「太陽暦」「太陰暦」「太陰太陽暦」に分けることができます。なかでももっとも原始的な暦法が、周りの環境をよく観察することで得た季節の変化をもとにした「自然暦」です。例えば北海道のアイヌ民族は、「鳥が出て鳴く月」「ハマナスを採り始める月」「木の葉の初めて落ちる月」といった詩的な呼称によって1年を12カ月に分けて目安とし、狩猟生活に役立ててきました(吉岡安之著「暦の雑学事典」より)。
 さて、現代の暦の中心は太陽暦「グレゴリオ暦」です。太陽暦とは「太陽の黄道上の運行、すなわち季節の交代する周期(一太陽年)をもとに作られた暦」(三省堂『大辞林 第二版』より)のことで、基本的に365日を1年とします。グレゴリオ暦も1年は周知のとおり365日。ただし、実際の太陽年における1年の日数は365.2422日であるため、そのズレを補正するために4年ごとに閏年をおいて366日としています。一方、月の運行のみを基準とするのが太陰暦。朔望月(新月から次の新月まで、もしくは満月から次の満月までの周期の平均値)をもとに日数を出すため、1年が約354日となり、毎年少しずつ季節がずれていきます。イスラム教国で、断食が行われるラマダーン(ヒジュラ暦の第9月)が毎年、少しずつ時期が違っているのがその好例といえます。ちなみに、日本では明治5年まで1000年以上にわたり太陰太陽暦が使われてきました。太陰太陽暦については、最後の章で詳しく取り上げます。

●世界で使われてきた多種多様な暦
 太古の昔から、世界各地でさまざまな暦が考え出されてきました。その中から、代表的な暦法をいくつかご紹介します。

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エジプト【シリウス暦】
古代エジプトで紀元前4200年ごろから紀元前一世紀ごろ使われていた太陽暦で、太陽暦の中では世界最古のものといわれています。農耕民族だった古代エジプト人にとって、最大の悩みはナイル川の氾濫でした。偶然にも、ナイル川が増水を始める時期(夏至のころ)に、シリウスと太陽が同時に昇ることを知り、そこを始点に1年が換算されました。ひと月30日×12カ月+5日の閏日(=365日)を1年として、4年に一度閏年がおかれました。
ローマ【ユリウス暦】
その名のとおりユリウス・カエサルによって制定された太陽暦で、紀元前45年1月1日より実施されました。それまでのローマの暦は季節とのズレが大きかったため、カエサルはエジプトの太陽暦を採用。1年を365日1/4と算出して、4年に一度の閏年に1日を加えて366日とします。正確な太陽年とは約44分の誤差がありますが、当時としては非常に精度の高い暦で、1582年にグレゴリオ暦が発布されるまで、欧州圏では広く使われていました。
イスラム教圏【ヒジュラ暦】
預言者ムハンマドが制定した純粋な太陰暦で、ムハンマドがメッカからメディナへ移住(ヒジュラ)した年を元年(ユリウス暦622年)として制定しました。この暦は月の満ち欠けに合わせて、奇数月を小の月(29日)と偶数月を大の月(30日)として交互に繰り返しています。従って1年間は354日となって、太陽年とは1年に約11日もずれてしまいます。現在はイスラム教圏の多くの国でグレゴリオ暦が併用されています。
ユダヤ教圏【ユダヤ暦】
ユダヤ人の間で使われてきた太陰太陽暦。基本的に、太陰暦同様に29日間の月と30日間の月を交互に12カ月繰り返します。ただ、これでは季節がずれてしまうため、19年に7回の頻度(3、6、8、11、14、17、19年目)で閏月(29日)を挿入して補正します。有名なダビデ・ソロモン王の時代のイスラエル王国ではエジプトの影響を受けて太陽暦が使われていましたが、紀元前597〜537年にユダヤ人がバビロニア地方に捕虜として移住させられた「バビロン捕囚」の経験によってバビロニア式の太陰太陽暦が導入されるようになったといわれています。
中国【中国暦】
中国では少なくとも殷の時代(紀元前17世紀ごろ)には原始的な太陰太陽暦が成立していたと考えられています。暦と天象(天文現象)のズレが皇帝の権威にもかかわる中国では、各時代の治世者によって短い間隔で改暦されてきました。それらを総称して中国暦といいます。中国暦の特徴は、暦と季節とのズレを検出するために「二十四節気」が考案された点と、日食や月食、惑星の運行位置を計算し予報する「天体暦」としての機能が盛り込まれていた点にあります。中国は、1911年にグレゴリオ暦に改暦しました。
マヤ【マヤ暦】 
マヤの人々は天体観測に優れ、とても精度の高い太陽暦を用いていました。紀元前1500年頃〜紀元後900年頃にあったとされるマヤ文明では260日(ひと月20日×13カ月)を1年とする宗教暦「ツォルキン」と、365日(20日×18カ月+5日)を1年とする常用暦「ハアブ」という2種類の暦がありました。2つの暦の組み合わせは52年周期で一巡。新しい周期が始まる際には、盛大なお祝いが行われました。

●日本の暦は「太陰太陽暦」
 日本の暦は明治6年(1873年)からグレゴリオ暦に改暦されました。それまで1000年以上にわたって、日本で使われてきたのは太陰太陽暦でした。太陰太陽暦とは、1年を約354日とする太陰暦を基本にしながら、数年に一度閏月を挿入することで季節と暦のズレを補正したもの。6世紀半ばに朝鮮半島から暦本がもたらされ、持統天皇の治世(690年ごろ)に初めて中国の暦法にならった太陰太陽暦が頒布されました。その後も日本では長く中国の暦法が転用されてきましたが、江戸時代に入り国学が盛んになると、初の国暦「大和暦」が17世紀後半に考案され、使用されるようになりました。
 最初でも述べたように太陰太陽暦は、月の運行をベースに算出された暦です。満月から満月(もしくは新月から新月)までをひと月と数えるわけですから、日本人は長く月の満ち欠けで時節の流れを把握してきたのです。最近はそんな月の満ち欠けが加えられたダイアリーやカレンダーも登場。手軽なツールを利用して、太陰太陽暦と月の満ち欠けに再度注目してみませんか?

【参考文献】
吉岡安之著『暦の雑学事典』日本実業出版社
 
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