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円滑な代替わりで価値向上!「事業承継」の成功法
 
すぐに分かる! 注目の経営手法や市場の「今」 グリーンレポート

円滑な代替わりで価値向上!
「事業承継」の成功法

2018/01
株式会社由紀精密
技術と理念を社員皆で共有 自社の財産を成長産業に生かす!

株式会社栗原
先代の理解のもと、一社員として 会社に尽くし、新業態で成果を出す!

印刷会社の事業承継とは

円滑な代替わりで価値向上!「事業承継」の成功法

株式会社由紀精密
技術と理念を社員皆で共有 自社の財産を成長産業に生かす!
株式会社由紀精密 代表取締役社長の大坪 正人さん。「金属加工業界はすごい技術を持つ中小企業がたくさんありますが、資金繰りやPRに苦労しています。自分たちの取り組みを発信して、業界全体も盛り上げられたら」と熱く語る
 「私と父の会社は無縁だと思っていました。昔から両親に、うちみたいな小さな工場は大変だから継がないほうがいいと言われていて(笑)」。そう話すのは、社員33人、金属加工で60年余りの歴史を持つ株式会社由紀精密(神奈川県茅ヶ崎市)の大坪正人さんです。大学を卒業した2000年に3Dプリンターなど最先端デジタル技術を使った製造ベンチャーへ入社。中小メーカーを支援する技術コンサルの仕事をするうちに、高い技術力があっても廃業が後を絶たない中小企業経営の大変さを知り、32歳だった2006年に自ら「親の会社を何とかしたい」と、同社に常務として入社。少しずつ新しい取り組みを行い、主力だった公衆電話の部品製造の仕事が激減していた同社を、精密加工の高い品質でJAXAや航空機メーカーなどから受注する会社へと変えました。その後2011年に会社を継ぐことを申し出て、2013年から社長を務めています。
お客さまアンケートで自社の強さを知る
 大坪さんが入社後、初めにしたのが、それまでなかった会議室をつくること。「一人で会社を変えることはできないので、社員と思いを共有する場が必要だと思ったんです。まずは借金を含めた財務状況などを社員たちに公開し、経営状態が苦しいことを伝えました」(大坪さん、以下同)。
 大坪さんは、同社がお客さまから長年変わらず公衆電話の仕事を受注してきたことを踏まえ、その良さを残すことが大切だと考えました。「社員には、『培った技術を生かす対象を、今後社会で伸びる分野に向けていく。ぜひついてきてほしい』とお願いしました」。
 そして、具体的にどの部分が評価されているのか、当時数社だった全てのお客さまに初めてのアンケートを実施。「レストランにあるような5段階評価、A4用紙1枚の簡単なもの」でしたが、自分たちが当たり前のレベルと思っていた仕上がりの精度や品質が高く評価されていることが分かり、社員とも共有しました。「それでこうした点が重視される航空・宇宙・医療分野に訴求していくことに決めました」。
由紀精密が製作するロケット用エンジン(スラスター)の「インジェクター」と呼ばれる精密部品。国内最大級の工作機械見本市「メカトロテックジャパン2017」に出品された。宇宙産業分野は同社の売上の3割を占めている
由紀精密のウェブサイトでは、製造、営業、開発の全社員について、担当分野や人柄を表す文章と写真で紹介。社員の一人ひとりを大切にする姿勢がうかがえる
現場の声を収集、企業理念も社員で
 大坪さんは、航空・宇宙業界の品質基準の取得や営業部の設置も進め、新規の難しい仕事を少しずつ受注。「現場は、求められる精度の高さも、扱う金属の種類や品種も格段に増えて、大変だったと思います」。そこで、頻繁に上長面談を行い、社員たちの苦労や不満、困り事を会社に伝えてもらう環境をつくりました。
 また、社会的にどんな意義を持つ会社にしたいか、社員たちに話し合ってもらい、企業理念を作成。「社長があれこれ言わずとも、皆が同じ目標や意義を心に掲げ、自分たちで仕事を進められる会社になればいいなと思ったんです」。さらに、ワンマン経営になってものが言いにくい会社にならないよう、予算や人事を部門長に任せるなど、権限を分散させました。

事業承継に必要な知識を親子で勉強
 大坪さんは、検索による幅広い層の流入を狙った切削加工専門情報サイトの構築や、複数の展示会への出展など、積極的な情報発信にも注力。展示会でつながった中小のものづくり企業で競い合ったコマ対戦のイベントで優勝し、ネットやマスコミの話題を集めたことで、新規業界での受注を増やしていきました(詳細は上の画像で紹介)。
 こうした取り組みの末、7年目に大坪さんは社長に就任。その2年ほど前から父親と計画を立て、贈与税や相続税などについても準備したそうです。また、自社株は一部のみを父親からの贈与とし、残りは数年かけて購入しました。「中小企業では自社株の時価などを意識していないことが多いかもしれませんが、事業承継では、株価や借入金の現状、会社の経営権や所有権などを親子で明確にすることが大事です。株式についての知識も親と勉強しました」。
 スムーズだったという承継のポイントは、先代と互いに尊敬し合える関係を作ったことだといいます。「入社後の取り組みを父が全て任せてくれ、本当にラッキーでした。私も父が社会の中で築いたことに敬意を持っています。一から立ち上げるのに比べ事業承継では多くの恩恵があることを踏まえ、これまでを否定して変えるというより、培ったものを生かす考え方のほうがうまくいくと思います」。

  • 次の経営者が、先代や社員が築いたものに敬意を払うこと、その財産を明確化し、残すための行動を早めに起こすことは、全社的に良好な承継につながる。企業理念づくりなどで社員を巻き込む活動も有効。
  • 新旧の両経営者が共に、株式や借入金の現状、引き継ぎ方法などについて理解を深め、互いの認識を合わせ、それらを計画的に承継することが大切。
株式会社栗原
先代の理解のもと、一社員として会社に尽くし、新業態で成果を出す!
 ひと昔前までは、大人のよそいき用か、子ども用・スポーツ用が中心だった帽子業界。その中で1999年、老舗の帽子製造卸会社でありながら、若者が普段のおしゃれ用に楽しむ帽子の専門店を立ち上げ、 現在は50もの店舗を展開、帽子文化を幅広い世代に根付かせたのが株式会社栗原(本社・大阪市)です。小売事業への挑戦は、父親からの事業承継を視野に、1994年に28歳で入社した現社長の栗原亮さんが、入社5年目に行ったものでした。
予定になかった事業承継
「承継がうまくいったのは、前社長の父が私の意見を尊重してくれたことが大きいです」と笑う株式会社栗原 代表取締役社長の栗原 亮さん。「会社を変革しようなどという意識はなく、お世話になってきた社員がつくる全社の最適性と、お客さまによい『買い場』を提供することを目指してきました」
 「元は祖父が立ち上げた会社。2代目社長は長男である伯父で、その子どもが次期社長になるはずでした」という栗原さん。大学卒業後、大手アパレルメーカーの営業職として約3年勤務していましたが、従兄弟が会社を継がないことになり、栗原さんの父親が3代目社長に就いたため、栗原さんが4代目候補に。入社を要請されましたが、「寝耳に水で、一年間悩みました。でも、祖父の葬儀などで栗原の社員が身内のように動いてくださり、自分の家はこの人たちに支えられてきたんだと感じていたので、恩返しになるのではと営業の一社員として入社しました」(栗原さん、以下同)。
逆風の中、ビジョンを根気よく伝える
 栗原さんは入社後、前職の関係者たちから「帽子業界で食べていけるのか」と心配され、厳しい市場であることを知りました。あらためて考えると、「若い人が帽子を選んで買える場所がない。帽子のトレンド自体がなく、ファッションの中での地位が低い」と感じた栗原さん。「製造卸業を生かしながら、店舗をつくって消費者のニーズをつかみ、それに応える商品作りで、社員が将来も食べていけるようにしたい」と考え、小売事業の計画を立てます。
 しかし、「外からの見立てと違い、業界に危機感は感じられなかった」といい、小売りへの挑戦に反対する役員もいたほか、最初は積極的に協力する社員もいませんでした。そこで栗原さんは、「業態を問わず、おしゃれを楽しむ消費者のメリットの最大化を実現し、帽子業界を元気にしたい」というビジョンを、会議の場や仕事で一緒になった社員にことあるごとに語りました。
条件付きの挑戦に、父の「無言の応援」
「override」1号店。右側には「帽子屋」のちょうちんがかかっている
 一方、社長である父親は、「2年間で赤字を脱すること」という期限付きで計画を了承。そのときの議論で意見の違いは数多くありましたが、「私の考えを否定せず、計画にも口を出しませんでした。実は自身も過去に一度、店舗出店に挑戦しており、好意的に捉えてくれたのです。 一つだけ注文されたのは、継続性のあるビジネスにすること。『帽子市場の未来を創りたい』という思いは同じだと感じました。そこで思い切って進められました。うまくいかなければ会社を辞めるつもりでした」。
 こうして1999年に東京・ 裏原宿で帽子専門店「override」1号店をスタート。店に入るお客さまがほとんどいない日々が続きましたが、1年10カ月目に、「何の店か伝わっていないんだ」と気付き、「帽子屋」というちょうちんを掲げたところ、お客さまが急増。カジュアルな帽子の従来にない品ぞろえの広さが喜ばれ、なんと父親が決めた期限ぎりぎりで黒字へと逆転しました。3年目には店舗が関西などにも拡大。ほかにも、雑誌や映画・テレビでの撮影に商品を貸すべく始めていたプレスルームの運営も軌道に乗り、メディアでの露出が増えたことも社員の誇りにつながりました。

栗原では、「override」のほかに複数のブランドを立ち上げ、現在では全国に7業態・約50店舗を運営。年に1度の方針発表会では、優秀店舗表彰の機会を設けている
後継者候補でありながら制約を課された中で成果を出してきたことで、少しずつ社内が協力的な雰囲気に。店舗勤務の若手社員も増えました。
社員に謙虚に向き合い、思いを伝える
 「役員から現場社員まで、いろんな人の意見を聞くことを心掛けてきました。元々社長の器ではないので、社内の人たちの力をまとめることが大事だと思って。その姿を見て、会社に役立っていると徐々に感じてもらえるようになったのかなと思います」。
 栗原さんは、入社9年目の2003年に社長に就任。新事業は、製造卸業を残した上に追加したもので、社員にとって変化が大き過ぎなかったことも承継がうまくいったポイントといえそうです。
 栗原さんは、特に社員に対しては大手アパレルメーカーでの経験からくる「こうあるべき」という発言は絶対にしないそうです。また、親子間の承継だからこそ、社員に対して「上から目線」での言動をしない配慮も大切だといいます。「新事業の目的や思いの説明も、役職を問わず誰にでも同じ言葉で伝えるようにしました。これからも社員と一緒に考え、お客さまにもっと喜ばれる帽子の提供のカタチを見つけていきたいです」。

  • 事業承継に先立ち、先代が次の経営者に大きな裁量を与え、成果を出す過程をつくることが、全社的に納得感のある承継のポイントになる。
  • 特に親子間の承継では、次の経営者候補が改革を行う際に制約を持たせ、社内での不公平感を和らげることが有効。経営者候補が社員を尊重した将来のビジョンを示すことも大切。
日印刷会社の事業承継とは
印刷会社でも親子間の事業承継例が多く、社長の子女が若いうちに入社して経験を積み、営業や生産などの重要業務を担当した上で社長になるのが一般的です。また、他業界で経験を積み、その知識や視点を生かした新しい技術やサービスなどで印刷事業の付加価値を高めている例も見られます。
 事業承継には、計画や準備に3〜5年かかるのが一般的で、前社長の急逝などで準備ができない状態で行われると、事業運営に支障を来す例も多いようです。
 必要な知識としては、株式については「株価対策」「株式の相続・譲渡方法」、税金に関しては「贈与税」「相続税」、負債については「経営者保証」「担保」、さらに「遺留分(相続人が最低限相続できる財産)」などがあります。中小企業庁ではこれらを詳しくまとめた冊子やウェブサイトも用意。国では47都道府県の認定支援機関に「事業引継ぎ相談窓口」を設けています。金融機関なども情報提供やセミナーの開催を行っています。
 なお、円滑な事業承継の支援策として、事業承継時における贈与税・相続税の支払いを猶予・免除する「事業承継税制」や、事業承継時に後継者が新しい事業・サービスを始める場合に活用できる「事業承継補助金」の制度も始まりました(今年度分は募集終了)。これらも活用し、より良い承継につなげましょう。

 
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